夫婦慕情、その2、淡い恋心
夫婦慕情、その2、淡い恋心
私の亜希子さんへの想いは、ほのかな憧れから、
淡い恋心へと変わり、
日増しに強い恋愛感情を持つようになりました。
もちろん、亜希子さんには里治さんという旦那様がいたのですから、
密かな恋心でした。
初めて、お二人にお会いしてからは、
昼飯時や夜食も頻繁に通い続けました。
先輩達と一緒の時もありましたが、ひとりで行くことが多かった……。
それは、先輩達…特に、仲井さんが一緒の夜は、
会話が卑猥だったからです。
酒が入ると、先輩達の話しは、仲井さん中心になり、
それを先輩達は聞きたがったのです。
<仲井さん…女のあそこって、ひとりひとり違うんですか?>
[当たり前だ…色も形も匂いも違うよ…
サネも南京豆みてぇな大きいのから、
マッチの先みてぇな小さいのまで、色々だ…]
<へぇ~南京豆ですか?…>
[俺のやった女の中にひとりいてなあ…いじりまわしてやると、
小指の先くらいのサネが、飛び出してくるのよ…]
ニヤニヤと笑いながら話す仲井さんは、
亜希子さんの後ろ姿をジィーと身ながら話すのです。
それでもまだ飲み始めは、ヒソヒソ声でいいのですが、飲み進む内に、
その声は次第に傍若無人な声に変わっていきました。
[いいか…どんな澄ました女でも、結婚したら、
みな旦那のち〇ぽをくわえるんだ]
まるで亜希子さんに聞かせるために大声で話すのです。
亜希子さんは私達のテーブルを見ようともしません。
私は{声が大きいですよ!…そんな話しは聞きたくないですよ!}
と、繰り返すのですが、先輩達は面白がって、
仲井さんに次から次に質問を浴びせるのです。
<うちに部品を持って来る、あのおばちゃん…旦那がトラックの運転手で
交通事故で死んだらしいけど、どうしてんですかねぇ?>
若手では最年長の隆司先輩でした。
[あのおばちゃんかあ…まだ四十前だろ?…体がもたねぇんじゃないかあ?…
隆司、口説いてみろよ、やらせてくれるんじゃねぇか?…ははは]
私は、こんな先輩達の話しを亜希子さんに聞かれるのが嫌で、
何度も途中で席をあとにしました。
七月の終わり頃…席をたった私を、
亜希子さんが店の外まで見送りに来てくれた事がありました。
(龍ちゃん、帰るの?…)
{うん…ごめんね…}
亜希子さんはニコニコ笑いながら…
(うぅん…気にしない、気にしない…
あんな話しを気にしてたら商売なんて出来ないわ…
それより、龍ちゃん…お盆は田舎に帰るの?)
{田舎?…帰らないよ…どうして?}
(うん…うちの人がお盆を休もうと言うのよ…)
{えぇ!?…休んじゃうの?……俺…毎日来ようと思ってたのに…}
(えぇ!?毎日?…あはは…そんなんじゃあ彼女なんて出来ないわよ)
{彼女?…彼女なんていらないよ…亜希子さんに会いに来るよ}
精一杯の口説き文句でした。
(あはは…毎度ありがとうございます!…ほら…
うちの人、釣りに行きたいみたいよ)
まったく相手にされていませんでした…。
当時の個人商店は、年中無休が当たり前…
何かやむを得ない時だけ臨時休業の貼紙を出していました。
{釣り?…亜希子さんも一緒に行くの?}
(私?…私は行かないわよ…でもお弁当は作るわよ…
哲ちゃんの分も…一緒に行かない?)
以前、口約束はしたものの、亜希子さんのお店は、
決まった休みがないので、
私の休みと合うはずもなく、気にしていませんでした。
{亜希子さんも行けばいいのに…}
(私、強い陽射しに弱いのよ…夕飯用意して待ってるわ…
一緒に行ってやってよ…)
{夕飯?…}
(うん…一緒に食べればいいじゃない…)
この一言で、里治さんと釣りに行く事になりました。
思い返せば、この始めての釣りが、今泉ご夫妻と私を結び付け
たきっかけの様に思います。
この日の釣りは、里治さんのテリトリー、荒川になりました。
自転車で店に行くと、里治さんは待ち兼ねたように…
「さあ…行こうか」と、さっさと自転車をこぎだしたのです。
(あッ…もう行くの?龍ちゃん今来たばかりじゃない)
里治さんは、まるで亜希子さんの声が聞こえていないか
のように、先を急ぎました。
(ごめんね龍ちゃん…うちの人、釣りとなると…まったくもう!)
{いいですよ…直ぐに追いつくから…じゃあ!}
{龍ちゃん頑張ってねー。お弁当はうちの人が持ったからねー。
行ってらっしゃい~…)
手を振る亜希子さんに見送られて、先を行く里治さんを追いました。
気分は爽快でした…亜希子さんは、いつものエプロン姿と違って、
ノースリーブの白いブラウスを着ていました。
亜希子さんのノースリーブの下で揺れる胸の膨らみと、
手を振る脇の下の白さは、当時の私には、息苦しい程のドキマギと
、まぶし過ぎる光景だったのです。
釣り糸を垂らし、竿の先一点を凝視する里治さんは、
近寄りがたい雰囲気がありました。
口を開いたのは、里治さんが一匹の鯉を釣り上げたあとでした。
「龍ちゃん、昼飯にしようか?」
この時、私はまだ一匹も釣れていませんでした。
{今日はボウズかなあ…釣れる気がしないですよ}
「ははは…焦らない焦らない…後半戦があるから」
里治さんは上機嫌でした。
そして、亜希子さん手作りのお弁当を広げ、食べ始めたのですが…
、二口、三口食べると、里治さんは、箸を置いたのです。
{どうしたんですか?…}
「なんか最近、…食べても直ぐに一杯になってさあ…」
{暑いからじゃないですか?…}
「そうかなあ…朝なんか体がだるくてなあ…」
{疲れが出たんですよ…}
「そうだな…龍ちゃん、俺の分まで食べていいから…
俺ちょっとあそこで横になってるから…」
里治さんはそう言って、橋の下の日陰に歩いて行きました。
夕方迄に私は二匹の鯉を釣り上げたのですが、里治さんはずっと、
日陰で横になったままでした。
疲れているんだろう…そう思った私は、里治さんの荷物や釣った
鯉を濡れ新聞に包み、帰る準備を終えてから、
里治さんを起こしに行きました。
「ああ……よく寝たぁ…」
{寝てる間に、僕二匹釣っちゃいましたよ}
「本当かよ…龍ちゃん上手いなあ」
意気揚々と店に帰ると、亜希子さんが迎えてくれました。
店の2階が住まいになっており、始めてお邪魔したのもこの日でした。
釣った鯉は、店の後ろにある井戸水を貯めた小さな池に入れました。
一週間から十日は井戸水で泥を吐かせるのです。
お風呂にも入れてもらい、食事を頂きましたが、この時も里治さんは、
ほとんど食べないのです。
それでもお二人は、私を歓待してくれました。
丸いちゃぶ台をはさんで、真近で見る亜希子さんの、
透き通るような胸元やノースリーブから伸びる二の腕、
笑う度に覗く白い八重歯は、
恋い焦がれる私には宝物に思えました。
多少、酒の入った私に、里治さんが聞いてきました。
「龍ちゃん…田舎に好きな娘いなかったの?」
(いない訳ないじゃない…龍ちゃん背も高いしハンサムだもの…)
高校時代、後輩の女子からラブレターをもらった事がありました。
セーラー服の胸下から、顔を真っ赤にして渡してくれました。
{いいなあって娘はいたけど、それたけですよ…}
(告白しなかったの?)
{しないよ…}
(ああ…だめじゃない…ちゃんと告白しなきゃあ…
相手に伝えなきゃあ…)
「こっちで彼女できた?」
{彼女じゃないけど…好きな人は}
酒の勢いでした…言った後から、心臓が音をたてて速まりました。
(えぇッ!出来たの?良かったじゃない…どんな娘?ねぇ、教えてよオ…)
亜希子さんの手が私の腕をつかんで揺り動かしました。
私の腕に亜希子さんの体温が伝わりました…。
始めて亜希子さんが私に触れた…。亜希子さんの体温が、
腕から全身に広がり、亜希子さんとつながった気がしました…。
(ねぇ龍ちゃん!教えてよ…)
{そのうち…}
「まだ告白してないんだろ?だめ元で当たって砕けろだ!」
(大丈夫よ!龍ちゃんいい男だもん…絶対大丈夫!…)
{明日は店、休みなんですよねぇ}
(あぁ…龍ちゃんごまかしたァー…)
「うん…休み…なんか…かったるくってなあ…」
{じゃあゆっくり休んで下さい…そろそろ帰りますから…}
「いいよ、いいよ…気を使わなくても…
俺は先に休むけど、ゆっくりして行けよ…
それとも明日は彼女の顔でも見に行くのか?」」
{そんなんじゃあないですって…}
里治さんが奥に向かうと、亜希子さんと二人切りになりました。
{里治さん、疲れているみたいですねえ…}
うん…あの人、前に大病したことがあってね……)
{大病?…今日だって食事…少ないですよねぇ}
(うん…最近とくに…お弁当食べたのかなあ?…)
亜希子さんも少しずつお酒に口を付けていました。
{ほとんど食べてないよ…僕が二人前食べちゃいましたから…}
(えぇ!?そうなの?…でもあれ、龍ちゃんが全部食べたの?…若いわねえ…)
{残すのもったいないじゃない…亜希子さんがせっかく造ってくれたのに…}
(ねぇ…龍ちゃんの好きな娘てどんな娘なのよ…教えなさいよ…)
{…言えないですよ…}
(もう…もったいぶってぇ…可愛い人?)
亜希子さんは弟から聞き出そうとする姉のようでした。
{…可愛いですよ…}
(そう…可愛い娘かあ…話しはしたの?)
{話しは…もう何回も…}
(反応は?)
{…相手にされてないみたい…}
(そうなの?…押しが足りないんじゃないの?)
押してもいいですか?…私は心の中でつぶやいていました。
(恋愛かあ…いいわねえ…)
{里治さんとは、いつ結婚したの?}
(十八…学校卒業してすぐ…決まってたのよ)
{従兄弟なんでしょ?}
(うん…親同士が決めた結婚だしね…)
{でも、亜希子さんも里治さんを好きだったんでしょ?}
(好きとか嫌いとか…まあ…小さい頃から知ってたし…
結婚ってそんなもんだと思ってたわ…)