夫婦慕情、その16、亜希子と呼びたい。
夫婦慕情、その16、亜希子と呼びたい。
亜希子さんは紹介者に会い、水口の血液型を調べてもらうように頼みました。
紹介者はこの時もその後も、亜希子さんが水口に犯された事を知りません。
ただ、この結婚話しが破談になったことは知っていて、
今更水口の血液型を調べてくれと言う亜希子さんに、
何故?と聞くのは当然の成り行きでした。
亜希子さんは、自分の友人に水口を紹介したいから…
と、言ったそうです。その友人が、血液型の相性を気にする娘だから…
と言ったそうです。
水口の血液型は、私と同じA型でした。
結局、お腹の子は私の子か、水口の子かはわかりませんでした。
初めて妊娠した子を、亜希子さんは産む決心をしてくれました。
そして、3ケ月が過ぎたころ、私と亜希子さんはアパートを借りたのです。
お産は亜希子さんのお母さんが上京してくれましたが、
私との仲を許してくれたわけではなかったのです。
お産の後しばらくは、お母さんが店を手伝ってくれ、
私はお母さんの目を盗んで、アパートに通いました。
お母さんにしてみれば、里治さんのお父さんと夫のご主人が兄弟ですから、
決定的な争いはしたくなかったのでしょう。
でも、帰られる時には私に
「亜希子と子供を守ってやって」と言ってくれた言葉はうれしかった…。
お母さんが帰られてからの七年間、私達は小さなアパートで一緒に暮らしました。
私は菜穂子が生まれてからも、"亜希子さん"か"お母さん"と呼んでいました。
晴れて結婚を許された時…"亜希子"と呼ぶ事を夢見ていました。
一度だけ、"亜希子"と呼んだことがあります…
亡くなる二・三日前のことです。
苦しそうな呼吸のなか、亜希子さんが私を"あなた…"と呼んでくれた時でした…。
病室には菜穂子を入れることの出来ない病状でした。
ご両親も駆け付け、私と三人で亜希子を見送りました。
私が菜穂子を引き取り、育てることにご両親は黙認をしてくれました。
菜穂子が七歳の時、亜希子さんは里治さんと同じ肝臓病で亡くなり、
今は里治さんと同じお墓で眠っています。
私は菜穂子を引き取り、男手ひとつで育てていましたが、
田舎の両親のすすめで、結婚しました。
戸籍の上では初婚ですが、今の女房は再婚です。
女房も子供が出来ず、離縁された女で、菜穂子を実の娘のように育ててくれました。
今なら、菜穂子が私の子かどうかを調べることは可能ですが、私にはその気がありません。
菜穂子は実の母、亜希子さんににそっくりです。
それだけでいいのです。
私は菜穂子と共に里治さん、亜希子さんの眠るお墓にお参りに行きます。
お二人にお世話になったお礼と、
菜穂子を授けて下さった感謝を伝えに行くのです。
今の幸せは、お二人と、全てを受け入れてくれた女房のお陰です。