夫婦慕情、その10、おの人が死んじゃった。
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夫婦慕情、その10、おの人が死んじゃった。
里治さんの病状は、日増しに悪くなっていました。
毎日、亜希子さんから状況は聞いていましたが、
一喜一憂の時期から、徐々に意識の混濁がみえ始めていたのです。
シーンとした病室の中で、突然「伏せろ!地震だ!伏せろ!」
と叫び出したりするの…と、
亜希子さんは涙ながらに話してくれたことがあります。
そんな時、亜希子さんは里治さんの頭を抱きかかえ
(大丈夫よ!…ここまで津波はこないわよ!)と
母親のように庇うのだそうです。
そんな状況を聞くと、私は胸が締め付けられる思いがしました。
日曜日をいつものように早じまいにして、
私は、亜希子さんと二人、病院に向かいました。
病室に向かう途中、亜希子さんは看護婦に呼び止められ
、話し込んでいました。
私は、病室の前で亜希子さんが来るのを待っていると、
走りに近づいた亜希子さんは…
(身内の人に知らせておいた方がいいって…)
そう言って病室に入って行きました。
私も病室に入ると、里治さんは、目は、開けているものの、
力無く、ボーっとしていました。
(あなた!わ・た・し!…亜希子よ!…わかる?)
亜希子さんは里治さんの顔の前に、
自分の顔を近付けて大きい声で話しかけました。
すると里治さんは、無言でコクり、コクりとうなずきました。
(あなた!龍ちゃんが来てくれたわよ!)
私も亜希子さんと同じように、里治さんに顔を近付け…
{里治さん!…お!れ!…キ!ノ!シ!タ!…わかる?}
と声をかけてみました。
里治さんは、私の顔をジィーと見つめていましたが、
その目は黄色く、濁っていました。
「龍ちゃんか…」
ぽつりと…一言…言ってくれたのです。
{そうだよ!里治さん!龍一だよ!}
ただ無言でうなづく里治さんでしたが…
「もう…いいよなあ…」と言ったのです。
私は、里治さんの言葉を、心の中で繰り返しました…
「もう…いいよなあ…?」
一気に涙が溢れてきました…苦しいのです…
里治さんは苦しいんだ!…そう思ったのです。
黄疸がすすみ、腹はパンパンに膨れ上がった里治さんは、
苦しくて「もういいよなあ…」と言っている…
しかし…私には応えが見つかりませんでした…。
{頑張って!}とも、{もういいよ}とも言えるはずもありません…。
{俺…もう一回、里治さんと釣りに行きたいなあ}
と言うのが精一杯でした…
すると、里治さんは突然、亜希子さんに向かって…
「亜希子…田舎に帰ろう…」と言い出したのです。
(え?…田舎?…)
「お袋がな…帰ってこいって…言ってたんだ…」
亜希子さんは、里治さんの言葉にうなずき…
(お母さんがそう言ったの?…じゃあ帰らなきゃあね…
お母さんに会いたいの?)
そう言った亜希子さんの目から涙が溢れました…。
「お袋…早く…帰ってやらなきゃあ…亜希子…切符…買ったか?…」
(切符?……ああ…買ったわよ…大丈夫よ…心配しないで…
お母さんに会いに帰ろうね…)
亜希子さんは涙をポロポロと流しながら、
里治さんの顔を拭いてあげました。
里治さんは、亜希子さんの言葉に満足したのか、
それっきり口を開かなかったのです。
私が生前の里治さんを見た最後の日になりました…合掌。
(明日…またお腹の水を抜くんだって…)
ベッドの横にある椅子に座った亜希子さんは、
里治さんのお腹を撫でながら言いました。
{抜いたら少しは楽になるんだよね?}
(うん…){お母さんの夢…見てたんだね}…(…お母さんっ子だから…)
私の想像を超える病状でした。
私達二人はトボトボと帰路についたのですが、
いつもの亜希子さんと違って、なにか考えているようでした。
(龍ちゃん…私…帰ったら、実家とか、あの人の家に電話するから…)
{うん…そうだね…じゃあ…俺、ここで帰るね}
私達は店の前で別れました。
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