夫婦慕情、その9、 好きだって言われたの始めてよ
夫婦慕情、その9、 好きだって言われたの始めてよ、
会社の仕事を終え、寮の風呂に入る頃には、
里治さんを裏切ってしまった重圧に、
押し潰されそうになっていました。
店に入ると、すでに客が入っており、
亜希子さんは忙しく働いていました。
いつものように、亜希子さんは軽く微笑み、
両目を閉じて挨拶を交わしてくれました。
私は二階に駆け上がり、白衣に着替えたのですが…
今朝まで、この部屋で亜希子さんを抱いていた…
信じられない思いでした。
下に降りて、仕事が始まると、いつものように手伝ったのですが、
気分はまったく違いました。
亜希子さんのエプロンの下に隠された柔らかい身体を、
俺は知っている!…そんな思いだったのでしょう。
{里治さん…今朝はどうでした?}
(うん…水を抜いて、それを濃縮して、またお腹に戻すんだって…)
{濃縮して…戻すの?}
(そうみたい…お腹に溜まる水って、栄養なんだって…)
仕事の合間、合間に交わす話しで、要領を得ませんでした。
{亜希子さん…これからは、もうちょっと早めに病院に行けば?…
あとは俺がやるから}
(ありがとう…)
病院の先生から、里治さんが末期と聞かされ、
私は少しでも亜希子さんをそばに
居させてあげたかったのです。
ちょっと客が途絶えた時、
亜希子さんに病院へ行くことをすすめました。
(じゃあ、龍ちゃんに甘えて、行ってくるね…)
{うん、いってらっしゃい…}
亜希子さんはエプロンを脱ぎながら二階に上がろうとして…
(あっ…そうだ…龍ちゃん、これ…)
そう言って、エプロンのポケットから取り出したのは、
私が亜希子さんに買った"ミッチーバンド"でした。
{あ…それ…亜希子さんに買って…忘れてた…どこにあったの?}
(二階…テーブルの下…)
{あ…そうか…}
暗い部屋の中で、置いたことさえ忘れていました。
(ウフッ…ありがとう…)
亜希子さんは、照れ臭そうに二階に上がって行きました。
そして、着替えを済まして降りてきた時には、亜希子さんの黒髪には、
それが留められていました。
私は咄嗟に亜希子さんに近づき…
{亜希子さん…それ、病院にして行くの?…
里治さんに…俺からもらったって言っちゃあ…}
(似合ってる?…言っちゃあいけない?…)
私は…私が亜希子さんを好きな事を里治さんは
気付いているのではないか?と、
ずっと心配していました。
(大丈夫よ…病院に着いたら外すから…)
そう言って、亜希子さんは病院へ向かいました。
亜希子さんが帰って来たのは10時少し前でした。
店の方も、あらかた片付けも終わっていました。
(ただいまー。ごめんねぇ…)
やはり疲れた声でした。
(お帰りなさい…どうでした?)
二人で二階へ上がりながら、話しました。
(うん…お腹がペッタンコになっててね…"楽"そうだったわ…
久しぶりに機嫌が良かったのよ…)
部屋に入って、テーブルをはさんで座りました.
{良かったねぇ}
(ウフッ…龍ちゃんの好きな娘って女子高生なんだって?…)
{えッ?!なに?女子高生?…}
(うふふ…だって、あの人が言ってたわよ
、龍ちゃんの好きな娘って女子高生らしぞって)
そうだった!…里治さんの質問攻めから、亜希子さんを好きだと
気づかれないために、里治さんには女子高生だと言ったんだ…。
{あッ…そ・・それは…}
(ふふふ…聞いたわ。あの人が龍ちゃんに、カマかけたんでしょ?)
{だって…里治さんが、俺の好きな娘って、年上だろ?とか、
好きだって告白できない相手じゃないのか?とか言うから…}
(あはッ…)
{言えるわけないじゃない……}
(うん…あの人も言ってたの…カマかけたけど…
龍ちゃん、口を割らなかったって…うふふ…)
{口を割るって…それって、俺が亜希子さんを好きだって…
里治さん…気づいてたの?}
(どうだろう?…何となく、そう思ってたのかも知れないわ…
まえ…ね…あの人が…龍ちゃんが好きな娘って、
お前のことじゃないのか?って言ったことがあったの…)
(龍ちゃんが、ほとんど毎日、お店に来るようになった頃かなあ…)
その頃の私は、亜希子さんに淡い憧れをもって店に通っていた時期です。
{里治さん…今も疑ってるのかなあ…}
(今は…そんなことないわよ…気にしないでね…)
{でも…俺…里治さんを裏切ったんだよ…}
この一言が、亜希子さんを傷つけたのです…
(そんなことない…昨日は、私が悪かったの……でも、もうやめよう…)
私が一番、怖かった言葉を、亜希子さんは口にしたのです。
{嫌だよ!…俺…嫌だ!…}
私は、後ろから亜希子さんを抱きしめました。
(ちょっと待って…龍ちゃん…ちょっと待って…)
亜希子さんは、抱きしめる私の腕から逃れるように、身体をひねりました。
(龍ちゃん!…話しを聞いて!…)
思いがけない亜希子さんの強い口調に、私はからめた腕を離しました。
ぼうぜんと立ち尽くす私に、亜希子さんは、疲れた声で言いました。
(龍ちゃん…座って…)
亜希子さんは、座って、しばらく、黙っていました…。そして…
(昨日のことは…私が悪かったの…だから…
龍ちゃんは、あの人を裏切ったなんて…思わないで…。
裏切ったのは…私…私なんだから…)
亜希子さんは、そう言うと、シクシクと泣き出したのです。
亜希子さんは…昨夜のことを、すべて自分の責任にしようとしている…
私はそう感じました…。
私が{里治さんを裏切った}と言った言葉が、
亜希子さんを追い詰めたのだと感じたのです。
{ごめん…亜希子さん…苦しいのは…亜希子さんが一番苦しんでるのに…ごめん}
(うぅん…私が悪いの…あの人が、こんな時に…うぅぅぅ…)
亜希子さんは顔を覆って泣きました…。そして…
(でも…うれしかったなあ……
私ね…男の人に、好きだって言われたの始めてだった……
あの人と一緒になった時も、両親に言われたからなの…
お兄ちゃんみたいな存在だったから…)
私は里治さんの言葉を思い出していました…。
亜希子さんと結婚する前、里治さんに好きな人がいたことです。
(龍ちゃんが…ずっと前から、私を好きだったって言ってくれて…
うれしかったの)
昨夜のことがよみがえりました…。
里治さんが永くないと医者から告げられ、
亜希子さんは私の背中で泣いた…。
受け止めたはずの私が、里治さんを裏切った!と、うなだれたら…
自分の馬鹿さ加減を悔やみました。
私はテーブルに泣き臥せる亜希子さんを後ろから抱きしめました.
{ごめん…亜希子さん、ごめん…俺…もう、裏切ったなんて思わないよ…
俺は…亜希子さんが好きなだけ…それで…いいよね?…}
私の目からも涙が溢れていました。
亜希子さんは、私に身体を預けたまま…(うん…うん)と、うなづくだけでした。
私は、亜希子さんの唇を吸い、白い乳房に顔をうずめ、
泣きながら亜希子さんを抱いたのです。
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