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先生と妻、その25、妻の声が止めてくれたんだ。

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先生と妻、その25、妻の声が止めてくれたんだ。

私の背後から飛び出し、男に棒を持って向かっていったのは、

堀田だったのか・・・。

だが私は驚きは出来ませんでした。

男との死闘の後で、魂が抜けた抜け殻のようになっていたのです。

ただ堀田を見ている、そんな感じでした。

だから私は、堀田の言うなりになってしまっていました。

堀田は、左の肩の下辺りを手で押さえていました。

血がにじんでいる。男に傘の先で突かれた箇所だ。

堀田は、しっかりとした口調で、てきぱきと動いていました。

周りに人の目がないか確認して、倒れている男の元に屈み、

男の状態を見ながら、携帯電話で、救急車を呼んだのです。

そして、私の腕をつかんで、

「さあ、もう行きましょう。お願いです、私の言う通りにして下さい。

ここを離れるんです。さあっ」
 
私は、堀田に腕を引かれ、引きずられるように歩きました。

堀田と私が雑居ビルから出て、人込みに入った時、

救急車のサイレンが聞こえてきました。

その時堀田が、先生・・・、と呟いたのを覚えています。
 
いつの間にか、私は職場の役所へと連れられてきていたのです。

堀田は、通用口の扉を鍵で開け、私を引っ張って中に入った。

私は、堀田の課の部屋へと連れて行かれた。

私をデスクに座らせた堀田は、私にコーヒーを入れ、

自分も座ったのです。コーヒーを一口すすった時やっと、

抜け殻だった気持ちがはっきりとしてきました。

やっと、こう言う事が出来たのです。
 
「堀田さん、どうしてあなたが、あの場にいたのです?

「懐かしいですね。十年前も、ここでこうして、話し合っていた。

あなたと私は」

「え?」
 
「私が横領した金を、どうするか、頭を使ってくれていたじゃないですか。

夜ここで二人で話しながら」
 
「・・・・・・」
 
「申し訳ないことをしました。私はあなたの名前を言ってないと言ったが、

はっきりした自信がないのです。

ただもう夢中で、先生に相談していたから。

だから・・・きっとあなたの名前を口走ったんだ。

そうでないと、あなたが峰垣先生の名前を知ってる筈がない。

あなたはあの時、私を呼び出した時、峰垣先生の事を、

はっきりと言ったでしょう。

私は馬鹿ですよ。すぐに気づかないんだから。

後でハッと気づいたのです。・・・・・・あなたも、

脅されていたんですね、峰垣先生に」
 
「脅す・・・?あなたも・・・?」
 
「そうです。金を強要されていたのでしょう、私と同じで。

それでとうとう我慢できなくなって、

今夜、先生の居場所を聞くような電話をしてきたのでしょう。

私はその時先生といたのです。

要求されていた金を渡すために会っていたのですよ。

私は、先生に、これからあなたと会うことになったと言った。

あの雑居ビルの8階の店で会うのだが、金がもうないので、

いったん家に戻って出直してくると言って、先生と別れたのです。

私は、あの雑居ビルの8階が廃墟なのを知っていた。

あなたもそうだが、先生もびっくりしたでしょうね。

私は先生とあなたが、あそこで鉢合わせて・・・

あなたの電話の口調は、切羽詰っていた・・・だから期待していたのです、

あなたが先生を・・・だけど、堪えられなくなって、

戻ってしまった・・・先生は私の恩人なのに・・・」
 
「堀田さん・・・あんた・・・」

 堀田は、苦しそうに頭をかきむしりながら、話しつづけた。

まるで教会でざんげをするように、長々としゃべり続けたのです。

「私が先生に、横領した過去がある事を相談した時、

先生は、過去の過ちは忘れて、

これからは世の中の為に精一杯働けと言われた。

私はその言葉に励まされて懸命に働きましたよ。

それからしばらくして、

先生は私に、金の工面を願ってくるようになったのです。

道場の運営費用が足りないとか言っていました。

はじめは小額だったのです。それが次第に・・・私が難色を示すと、

私の過去の事を、知られては困るだろうと・・・

はっきり脅したのです。あの先生がっ!尊敬する恩人がっ!」

堀田は立ち上がって、窓のほうへ歩いていき、外を眺めた。

そしてまた、話しつづけるのです。

窓に映る堀田の顔は、歪んでいました。

「私はどうしようもないゴロツキでしてね。

ある時、傷害事件の冤罪を被せられたのです。

どうせお前がやったのだろうと、

まわりの大人は、白い目で私を見ましたよ。

しかし先生だけは私を信じてくれた。私の冤罪を晴らそうと、

四方八方、足を棒にして飛び回ってくれました。

私を先生の家にかくまってくれたりしてね、

その時奥さんにも、本当に世話になった。

私の無実がわかったとき、

優しい奥さんは、泣いてくれましたよ・・・くっ・・・」

堀田が、窓ガラスに額をコンッとぶつけた。

歯を食いしばって、涙声に鳴り出した。話しつづける。

「そんな先生がどうして私に金の脅迫を?

私は金を払い続けながら気づいたのです。

先生の家に、奥さんの姿が見えなくなっているのを。

それで独自に調べました。興信所を使ったのです。

奥さんは、男を作って、先生の元を離れていた。

それで、やけになって、飲み代に使う金かと思いました。

でも違うのです。奥さんは、やがて男とも分かれた。

そして、転々と、住む所を変えているようなのです。

先生は、そんな奥さんの生活を、

興信所に調べさせて毎月報告させているのです。

ずっと、いまでも。奥さんの毎日の生活、健康状況・・・

とても教員の給料では、興信所の請求額に応じきれるものじゃない。

それで、私や、あなたに・・・あなたもそうでしょうっ!

私と同じで、多額の金を先生に要求されることに疲れたんでしょうっ!

私にだって家族があるんだっ!先生の気持ちは判るがっ!いつまでも・・・。

あなたもそうでしょうっ!ええっ!?

それで先生をつけ狙ったのでしょうが!?」

私の方を向いた堀田は、笑っていました。

あの男、峰垣に苦しめられていたのが、自分だけじゃないという安堵で

笑っていたのか?

それとも、あの男、峰垣を最後に叩き落したのが、

自分じゃなくお前だという責任転嫁なのか?

たぶん両方だろう・・・。
 
私があの男に奪われ続けたのは、金なんかじゃない。

金で変えられるものじゃない。

「私が先生に飛び掛っていったのは、あなたじゃ無理だと判断したからだ。

見たでしょう、私が吹き飛ばされたのを。

もし私が出なければ、あなたは先生に・・・。

そうなれば、これからは、私一人でどうやって・・・」
 
「どうして私を、最後に止めたんだ?

私はナイフを持っていたんだぞ」
 
「私は苦しいんだっ!先生は尊敬する恩人だっ!

でも昔の先生じゃないっ!くそうっ!」

堀田は笑っているんじゃなくて、苦痛で歪みすぎているんだ・・・。

そう思いながら私は席を立ちました。

堀田はうずくまって、頭を抱えながら鼻をすすっていた。

我が家の灯りが見える、ゴミ捨て場まで来て、

ポケットから取り出したナイフを捨てました。

すると途端に、ボロボロと涙が出てきたのです。

そうだ、このナイフを使わなくて良かった。

もう、あの灯りの元に帰れなくなるところだったじゃないか。

妻の声が止めてくれて良かった。

私は、さっきの堀田のようにグジュグジュと鼻をすすりながら、

我が家の門の前まで辿り着きました。

門扉をキイ・・・と開いた時、玄関の明かりがポッと灯ったのです。妻だ。

そうだ。妻は結婚してから、私を出迎えてくれなかったことは一度もない。

そう思いながら、開く玄関をじっと見ていました。



 
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